2010年03月23日

<カーネル人形>おかえり 甲子園球場近くに「定住」(毎日新聞)

 昨年3月、大阪・ミナミの道頓堀川で24年ぶりに見つかったカーネル・サンダース人形が19日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場に近い「ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)阪神甲子園店」の店内に設置された。来店客は自由に見ることができるといい、トラファンの新名所となりそう。

【09年3月の衝撃】道頓堀川からカーネル・サンダース人形を24年ぶりに発見

 記念のセレモニーがあり、日本KFCの渡辺正夫社長らがテープカット。「おかえり!カーネル」と名付けられた人形は、店内入り口付近でガラス製の保護ケース内に飾られ、文化財級の扱い。渡辺社長は「暗いニュースが多い中、カーネル人形発見は明るい話題として喜んでいただけた。依頼があれば出張も承ります」と話していた。【加藤美穂子】

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2010年03月18日

三宅島、避難指示解除から5年 島に脈打つ家族の絆(産経新聞)

 噴火による全島避難指示が解除されて丸5年を迎えた三宅村(伊豆諸島・三宅島)。しかし、島は高齢化が進み、復興の切り札として期待された観光も伸び悩む。仕事がないため再び島を離れる島民も後を絶たず、人口は減少する一方だ。それでもここが故郷−。その思いを胸に島民は島の将来を描き続けている。三宅島の今を見てきた。(奥村清史)

 「家族との思い出の詰まった三宅島に、どうしても戻ってきたかった」

 島南東部の坪田高濃度地区で火山ガスの流出状況を監視する山口百合子さん(50)=仮名=は、うっすらと涙を浮かべこう話し始めた。

 百合子さんは平成5年8月、建設業に携わる夫と娘4人で神奈川県相模原市から島に移り住んだ。家族旅行で島を訪れた際、アトピー性皮膚炎だった次女の症状が和らぎ、すぐに移住を決めた。その後、島で五女も授かり、充実した日々を過ごしていた。

 12年9月4日、噴火による全島避難の最終日。百合子さんは娘5人を連れて島を離れ、夫は復旧のため島に残った。その夫が、全島避難が解除される半年前に末期がんだと診断された。百合子さんは入院中の夫に「早く島に帰れるといいね」と話しかけながら看護を続け、清掃のパートで娘5人たちの生活を支えた。

 闘病生活を続けていた夫は、帰島の願いを果たせぬまま家族に見守られながら静かに息を引きとった。「死ぬ間際まで、愛用の釣りざおのことを気にしていた。三宅の海で、もう一度釣りがしたかったのでしょう」と百合子さん。

 その後、家族は念願の帰島を果たした。ぜんそくのため火山ガスの影響が心配された五女も、中学生になった今では薬も必要なくなったという。都立三宅高校に通う四女はこの春、都内のレストランに就職する。「いずれは島に帰ってきたい」とも話している。

 「避難中も帰島してからも多くの人に支えられた。島には娘たちの病気を治してもらった。三宅に住んで、本当によかった」。百合子さんは静かに話した。

                   ◇

 ■伸びぬ観光「復興、火山と共生」

 三宅村役場によると、帰島5年を迎えた2月1日現在の島の人口は、2810人(1736世帯)。うち、18歳以下は263人で約9%。一方、65歳以上は1028人で約37%を占め高齢化が目立つ。

 島で唯一の特別養護老人ホーム「あじさいの里」には50人が入所し、80歳以上が41人、最高齢者は99歳だった。施設長の水原光夫さんは「介護福祉士など専門職の人材確保は島では難しい。入所者の家族が島外にいるケースもあり、対応に苦慮している」とホームの実情を明かした。

 復興の起爆剤として期待された観光業は伸び悩んでいる。平成20年度の観光客は4万人を割り、噴火前の約半分。タクシー運転手の男性は「客の数は時期によって波が激しい。平均して来るようになればいいが」と話す。民宿で働く男性も「春になると工事関係の長期滞在者が少なくなる」と不安を隠さなかった。

 一方で、島の将来を担う子供たちの意見は前向きだ。都立三宅高校では21年9月から1月までの間、2学年全員が「三宅島の発展に向けて」をテーマにした研究活動に取り組んだ。海や噴火を観光と結びつけた研究がほとんどで、リポートのまとめにはこんな言葉もあった。

 「もっと強く火山と向き合えるよう立ち入り規制を解除することで、島の文化は大きく発展するだろう」

 約20年周期で噴火を繰り返す三宅島。復興への道のりはなお険しいが、その歩みは着実に進んでいる。

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2010年03月16日

<日米密約>引き継ぎ、海部政権まで 公開の外交文書で判明(毎日新聞)

 1960年の日米安全保障条約改定時に核兵器搭載艦船の寄港などを日本側が認めた密約について、89年の海部俊樹内閣まで歴代首相、外相らに外務省幹部から引き継ぎの説明があったことが、9日公開された外交文書で判明した。政府は密約の存在を否定していたが、昨年6月に村田良平元外務事務次官が「歴代次官が文書で引き継ぎ外相に説明した」と証言。それを裏付ける記録だが、その後の内閣に引き継がれた記録はなかった。

 引き継ぎ文書は、68年1月27日に東郷文彦アメリカ局長(肩書は当時)が作成。ライシャワー駐日米大使から63年に大平正芳外相、64年に佐藤栄作首相が核搭載艦船の寄港を認める米側の解釈について説明を受けた経緯を記し、「現在の立場を続ける他なし」と見解を示した。この文書の欄外に、歴代の首相、外相の名前と日時の下に「御閲読済」「口頭にて説明済」などと記されている。文書には89年8月24日付の栗山尚一次官のメモが付属され、海部首相、中山太郎外相に説明したのが最後となっている。次の宮沢喜一首相は外相時代に説明を受けており、93年の非自民政権誕生以降、引き継がれた記録は発見されなかった。冷戦終結後の91年、ブッシュ米政権が艦船や潜水艦への核兵器配備を廃止し、日本への持ち込みがなくなった影響もあるとみられる。【野口武則】

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